医療法人 平治会 ASKAレディースクリニック

あすか通信 2004年夏号 Vol.5 8月発行

≪院長便り≫
もうすぐ一年になる。それは唐突な出来事であった。未だに整理できず、クチャクチャに丸めて無理矢理フタをしている。タチが悪いと言おうかあいつの身勝手さには呆れるばかりだ。その一報を聞いたのは、夜診を終えての家路の途中、携帯電話に出た家内の声が震えていた。「永野さんが、死んじゃったって」「いま妹さんから連絡が入った、、、」「えっ、なんて?」

永野は、私の数少ない親友の一人だ。高校時代からの連れ合いで、互いに忙しい現在も年に1〜2度は出会って、家内の手料理で酒を交わすのを楽しみにしていた。大手メーカーに勤める彼は、「お前ら医者は、いくつになっても考えが甘い」とたしなめるのがお決まりの口上だった。「何を言うか。こちらはミスれば、訴訟ものだ。お前こそ医師免が背負えるか」とこちらも切り返す。なんとも心地よい時間を共有することができた。

「(そんな馬鹿な話があるだろうか、、)」運転もそぞろに家にたどり着き、彼の実家に電話をかけると、実家のお母さんは、静かに事の経緯を語ってくれた。事故でもない、もちろん自殺などでもなかった。それは何の前触れもない突然死だったのだと言う。職場での打ち合わせの最中、彼は机に顔を伏せ、崩れるようにそのまま床に倒れてしまったのだそうだ。周囲の誰もが光景を疑ったに違いない。家族が駆けつけるのも待たずして、彼は去っていったのだから。葬儀は社葬となったが、気が動転していたため、友人関係への連絡を取る余裕がなかったことを詫びておられた。あまりの急な出来事に、火葬を終えた今も受け入れることができないのだと語る。まったくタチの悪い冗談である。「実は家族みなで私をだましていたのだ」と、あとでタネあかしをしてくれたら、許してやろう。私とて、彼に会うまでは到底受け入れられる事ではなかった。旧友と連絡をとり後日、彼の実家へ出向くと、しかし霊前に置かれていたのは彼の位牌と遺影に違いなかった。久しぶりにお会いするお母さんと妹さんは、憔悴しきった様子はなく、気丈に振る舞われていたので少しだけ安心した。「(焼香ってこうするんだっけ?)」社員証の写真をそのままに使用したという彼の遺影は、私の非常識をいぶかしく思っているかのようだ。「息子とは、お盆に会ったばかりだったんです」。父親の墓参りにと山口県まで出向いた帰りに実家に立ち寄ったのだという。久々に家族が揃ったのだそうだ。勿論、こんな事になるとは彼を含めて誰も想像するはずもなかった。

形見分けにといただいた彼の写真は、亡くなる前の旅行先でのスナップであった。海を背にして微笑む彼の表情は、驚くほどくったくがなく、そして不思議に澄みきっていた。まるで我々の手に渡ることを知っていたかのように思え、身震いした。

「俺たちがその場に居合わせたら、なんとかできた(助けられた)ことかも知れない、、」そうぽつりと口にしたのは、親友であり内科医として働く福井であった。「お前ら医者は、、、」と常に私と同列に扱われるかたわれだ。永野とは高校時代にバレー部でともに汗を流した仲でもある。人の死には慣れているはずなのだが、小さな箱に詰め込まれた亡骸が意味することを実感できないでいるのは、私だけではないことが彼の表情から見て取れた。ぽっかりと心に穴が空いたとは、このような時に使うのだろうか。「苦しむことがなかったのが幸いでした」。そうでも思わなければ、救われない思いがした。誰もが皆、突然訪れた空しさにどう対峙してよいのか分からないでいるのだった。

 失われたものの大きさは、失って初めて気づくというが、失ったことを実感できない私は、悲しみの大きさを未だ理解できないことを幸いに感じている。忙しさにかまけて整理せぬままに放置してきたのだが、しかしそれにも限界があろう。気がつけば、再び夏を迎えているのだ。
一周忌にあたり、この原稿を書き終えて彼への思いに一区切りをつけるつもりでいる。

亡き友へ

≪スタッフ紹介≫
看護師 澤井亜弥

今回、私が紹介するのは、看護師の澤井亜弥さんです。澤井さんは、看護師として、全ての診療科の経験を持つ、頼りになる先輩ナースの一人なのです。
そんな澤井さんのセールスポイントは、明るく超ポジティブなところ!!
診察室や処置室での澤井さんの満面の笑顔での挨拶や声かけ等で、明るい気分になる患者さんも多いのではないでしょうか。
現に私は、仕事もプライベートでも良きアドバイスを頂き、前向きになれていつも感謝しています。
最後にこれからの季節、澤井さんの大好きな「夏」がやって来ますね!今年は家族三人で、思いっきり楽しんでいっぱい素敵な夏の想い出を作ってくださいね!(看護師:宮本)

≪ナースキャップ≫・・看護師 川端尚子・・
夏になると、海へ出かけます。お天気の良い、風の涼しくそよぐ日、透き通る様な空と同じくらい青い海を見ながら、渚にゆっくり座っているのが私は好きです。
「海を感じるとき」という小説がありましたが、波打ち際で両足を渚につけていると、波が穏やかに寄せては返して、海と優しく触れあい、対話し、「海の物語」を聞くような気がします。
寄せては返す波。
海辺ではもう何十億年に渡って、こうした営みが続けられてきたのでしょう。そしてこれからも遙かな未来にまでこの海の営みは続くのでしょう。
海は私たちの生命の源、生命の故郷です。地球が出来てまだ間もない遙かな昔に、この海の中で小さな生命が生まれました。
この小さな生命は、海に育まれて少しずつ大きな生命となりました。
幾種類かのアミノ酸からやがて生命の元となる核酸(RNA・DNA)が作られました。それらは、蛋白質を合成しながら複製を繰り返すようになり、小さな細胞を形成しました。小さな細胞はやがて、変化する地球環境に適応しながら大型の単細胞生物となりました。そしてついに、単細胞生物が集まって、より複雑な機能を持った大きさ多細胞生物となったのです。この多細胞生物が、次第に分化、発展して様々な動物や植物が生まれました。やがて長い年月の後に、生き物の一部は、海の中から陸上へ上がりましたが、これら生物の誕生と発展の大部分は、海の中で行われました。ですからいまでも海と生物は、深いつながりがあります。
お母さんのお腹の中で私たちは羊水に守られて育ちました。それはまるでタコの赤ちゃんやサンゴの赤ちゃんが海の中で育つのと同じなのです。この地球上での四十億年を越える、生命の長い旅。
これが私が聞いた海の物語です。
これからも、この物語を大切にして、生命を育む大切な仕事のお手伝いをしたいと思っています。

≪子宝報告≫
私はASKAに3年半程通った末、最終的に去年11月に2回目の体外受精で赤ちゃんを授かり、現在妊娠9ヶ月、8月に出産予定です。
私の不妊治療は特に問題が見つからないままタイミング指導を受け、その間に嫌になり半年お休みした事もありますが、過去の急性腹症の経験から癒着があるかもしれないとのことで再起復活でラパロにも望み、その後AIHにステップアップして期待しました。
私にとって子供は「授かるもの」の執着が大きかったので治療をしていることは友達にも親にもあまり言いたくなかったので一人で悩んでいた時期でした。
効果がなく4〜5回目のAIHでダメだった頃、毎月同じ事の繰り返しに治療に通ってる意味があるのかなと何度となく原点に戻ってしまいました。

「転院しようかな」と思い始めたとき、中山先生に変わられて、「どうせなら転院したつもりで、もう少し通ってみて、それからまた違う病院を探せばいいや」と思うことにしました。
初めての中山先生の診察は私のカルテの古いページを何度も繰り返しめくり、私にあった治療をしてくれそうな気がしました。それまではカルテをめくられることもなく、名前が呼ばれると私はわざとゆっくり腰をあげて、先生が自分のカルテにじっくり目を通してもらえたらなぁと思ったことさえあります。
同じ治療の繰り返し・・・そこに効果がでなければ何か他に手はないの?と常にすがるような思いでした。私は中山先生を信頼してみようと思いました。

今思えばそこからが私の本当の治療の再開だったのかもしれません。AIHにもさらに失敗し、先生に薦められたまさに「他の手」DOST法には期待大でした。
AIHがダメなら体外しかない・・・とステップアップに躊躇していた私には採卵は怖かったけど、もうできることをやってみようという考えでした。
結局初回は私のタイミングの難しさのせいで排卵してしまっていて、2度目のトライもやっと採れた一個の卵はカラっぽでした。採卵時の橋本先生の「う〜ん、ないですね〜ぇ」の言葉の意味が呆然としていた私にはなかなか理解できませんでした。
もしかしたら私は卵ができないのかもしれないと落ち込みましたが、同時に焦りも加速し、追い詰められるかのように体外を決断しました。内心これが最後かもしれないという恐怖で一杯でした。体外がダメならもう私にはママになれる道はないんだと思っていたからです。多分皆さんも同じ思いをお持ちだと思います。ステップアップして、ダメだったらどうしたらいいのか・・・。現実を突きつけられるのが怖くてたまりませんでした。

主人にもよく不安な気持ちを打ち明けましたが、このまま自然に授からずに終わるよりも、可能性があるならやってみようと言われ、「この人も子供が欲しいんだな」って思い、主人をパパにしてあげたいと思いました。二人の生活もこれまで十分に楽しかったし、毎年の海外旅行が私たちの目標になっていたのでそんな人生もいいかなと自分をなだめる様に言い聞かせていたのもあったけど、やっぱり私はママになりたかったのです。
初めての体外では又も期待はずれでした。やっと決心がつき、期待が膨らむとまた一つ別の壁にぶち当たることの繰り返しでした。いつも卵のできが悪かった私に初めて数個の卵胞をエコーで見たときは内心ウキウキしました。なんとかなるかも!・・でも期待も虚しく採卵できた卵は2個とも未成熟。
このまま培養を続けて成熟卵になるか経過を見てくださることになりました。もう心の中では期待は持っていませんでした。病院の帰りに主人に励まされ、泣いても泣いても胸のつかえがとれませんでした。
本当に一番辛い時期だったと今思い出してもふと涙がでることがあります。その後受精確認で1つが成長しているとのことで移植に来てくださいと言われました。
どうせダメな受精卵なら最初から戻したくないなって思っていた私は当日粟井先生の説明を受けながら処置室で受精卵を見たとき、とめどもなく涙があふれました。粟井先生は「この子はすごーく頑張ってます」って言われた時には自分の半ば投げやりになっていた気持ちに恥ずかしくなりました。グレードでいうと最低ランクの卵ではあったけど移植してもらい愛しい気持ちで穏やかにすごすことができました。結果はダメでしたが私の中でとても大切な経験になりました。
これまで本当に泣いてばかりの通院でした。いつまでこの生活を続けるのかという不安と虚しさ…周りから置いていかれるような孤独感。
そんな私が…元気な胎動を感じ、ママになろうとしている今もまだ全く信じられない思いです。
夫婦には様々な形があると思います。子供だけが家族の絆ではありません。子供ない夫婦の方が仲がいいと思うくらいです。やっぱり苦労してここまできたけれど私たちには必要な時間だったのかもと今だから思えるような気がします。それと治療の悩みを一人で抱えていた頃、ASKAの掲示板を通じて本音で話せるお友達がたくさんできたこと…。
時には人と比べて辛いことも正直たくさんありました。それでも私がここまでこれたのはやっぱりみんなに支えてもらったことが大きかったと思います。
治療の愚痴や弱音を吐き、傷のなめあいだけの関係ではなく、これからも大切にしていきたい輪がたくさんできたことを感謝しています。もしまだ一人で殻に閉じこもり辛いと思ってる方がいらっしゃったら、一度吐き出してみてください。きっと違う光がみえてくると思います。不妊治療は長くて暗い道のりだと思います。ゴールがどこにあるのかわかりません。妊娠してからもまだ自分の子供をこの手で抱くまではまだ長い道のりの途中に立っていると思っています。
自分がこれまで涙してきた時間を一生忘れることなく、立派な母親になって子供にいつか話せる時まで頑張っていきたいと思っています。



先日、ご本人より報告がありました。
8月12日、2856gの元気な女の子をご出産になられたとのことです。本当におめでとうございます。
そして長い間、ご苦労様でした。スタッフ一同



生殖補助医療の成績
2004年1月〜6月

患者数  141名
平均年齢 35.4才
採卵件数 155件
移植件数 132件
妊娠数  48件
多胎妊娠数  5件(10.4%)
流産数  10件(20.8%)



体外受精(胚移植あたり)
総妊娠率 41.9%

新鮮初期胚移植 33.3%
新鮮胚盤胞移植 37.5%
凍結胚盤胞移植 59.1%



顕微授精(胚移植あたり)
総妊娠率 29.3%

新鮮初期胚移植 24.1%
新鮮胚盤胞移植 28.6%
凍結胚盤胞移植 36.8%



総評
今年度、上半期の集計が終わりました。採卵件数、移植件数とも前年を上回りました。
平均年齢も上昇傾向であり、とりわけ顕微授精では患者さんの約2割が40歳以上でした。
胚移植当たりの妊娠率は、体外受精で前年度を上回り、顕微授精は下回りました。
体外受精で受精率の低いケースや高齢の患者さんが顕微授精へ移行してゆく割合が増えたことが妊娠率の低下になったと思われます。
特記すべき事としては、多胎率の低下があげられます。現在、院内規定により「初期胚は2個、胚盤胞は1個」と移植数を制限しております。妊娠率の低下が
懸念されますが、周産期管理上、早産や妊娠中毒症のリスクを考えるとやむを得ない傾向かと思われます。

≪あすか会からの報告≫
 不妊症の女性同士が悩みをグループで話し合う心理療法で妊娠率が上がったとの国内報告がありました。心理療法後1年間の追跡調査で、療法を受けた37人は14人が妊娠したが、受けなかった37人は5人にとどまったそうです。
そんな訳で、今年も定例会を下記の日程で行います。
今回は、親睦会(茶話会)を予定しております。内容は、シンプルにケーキを食べながらの、雑談です。
知り合いをつくって、アドレス交換をしてください。このような集まりは、なかなか勇気がなくて最初は参加しにくいと思いますが、きっと大きな支えになると思います。決してあやしい集まりではありませんので、お気軽にご参加ください。

  日 時  平成16年9月25日 土曜日 午後3時〜5時(予定)
  場 所  駅前パラディII 6階会議室
  内 容  親睦会(茶話会)

 参加方法 まずは、あすか会に登録してください。
      ホームページの「あすか会」に事務局あてのメールフォームがあります。
      クリニックにも登録用紙を置いています。
      企画スタッフも募集しています。世話焼きの人、大歓迎です。

「あすか会」事務局代表 稲垣昌代(看護師)

≪編集後記≫
今夏は連休を利用して信州に行ってまいりました。知人ご夫妻と連れだって、高原のリゾート気分を少しばかり味わうことができ、リフレッシュになったと思います。実は今回、出向いたのには大きな目的がひとつ。
それはクリニックの待合いに飾る絵画の買い付けです。山梨で活動する画家の西澤氏は、信州の自然を題材にした造形に取り組んでおられます。アトリエのある小淵沢には、都会では味わえない無垢の自然が溢れており、その生命力に圧倒されます。手がけた作品が無造作に置かれた氏のアトリエには、土地の自然と対話している氏の力強い作風を目の当たりにすることができ、すっかり魅了されてしまいました。
描かれているのは、よそ行きの着飾った自然ではありません。どこにでもある一風景に過ぎないのですが、そこに生活する者にしか描けない力強さに溢れているようでした。
 無理をお願いしてシリーズとなっている水彩画の二作品を分けていただくことができました。一つは現在待合い室に飾ってある作品であり、そしてとっておきのもう一作品は、迷わず自宅に持ち帰りました。
とても良い作品で皆さんにもお見せしたいのですが、それは難しいことかも知れません。
その絵のお陰で、私は仕事を終えると毎日、小淵沢に帰宅する気分を味わえているのですから。(中山)

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