不妊不育治療センター 医療法人明日香会 ASKAレディースクリニック

第一節「フニンは時代を映す鏡」
皆様はじめまして。奈良市で不妊医療に携わる中山と申します。
「時代に迎合せず、物事の深層を見極める読者層に支持される社会派タウン誌」の存在を聞きつけ、ご無理を言って「アゴラ」に私考を投稿するお許しを得ました。これまでは機関誌やメルマガなどの一方向性のメディアを活用しておりましたが、「読者と共に考え、成長する」というアゴラの主旨に賛同し、コラムを連載させていただくことになりました。

さて標題にある「不妊」は、ご夫婦の問題にとどまりません。そこには生殖医療、少子化、生命倫理、リプロダクティブヘルスといった、世相を表す多くのキーワードが内在します。
「フニンの心得」は、黄昏れたエッセイではありません。不妊医療を通じてそこに介在する諸問題を当事者の側から発信することで、医療混迷の時代に大袈裟ながら「賢い患者であるためのスキル」を身につけていただくことを目標とします。私なりの正義感で “問題発言”してまいりますので、しばらくの間、お付き合いください。

第二節「フニン患者よ、頑張るな!」
「私は不妊治療が専門の産婦人科医です」と言うと、「それは『大変』ですね」
という言葉が返ってくる。このリアクションは、不妊カップルに対する世間の抱くイメージにそのまま当てはまるのだろう。
確かにフニンは、「大変」。何が「大変」かと言うと、子孫繁栄、種族保存は、夫婦であるための最低目標として、社会に根付いているから「大変」なのだ。
不妊患者に対する世間の気遣いの言葉も、実はその意に反して、彼らにとっては メ禁句モとなる。「大変ですね」と言われれば、「ご心配ありがとう。でも夫婦二人で楽しく暮らしていますから」と強がることをしいられるからだ。さらにもう一つの禁句に「がんばれ」がある。言われるまでもなく、すでに自らがどれほど頑張っているかさえも理解されていない。この類の励ましにあうと、慣れた者でさえ数時間は打ちひしがれるものなのだ。子供の居ないことに意固地になってばかりいるのではないのだ。その事を忘れてハツラツと毎日を送っていることを知らない周囲から、突如として同情されるのが、最も辛いことなのだ。「素直でない」との意見もあろうが、子供の居ない私が言うのだから、ウソではない。「『大変』だけど『がんばれ』」と、心の中で応援していただければ、それで十分だと思うのである。

第三節「フニン検診 ノ ススメ」
「ブライダルチェック」という言葉をご存じだろうか?結婚を意識した若者が人知れず、時には相手と連れ立ってクリニックを訪れ、生殖能力についての基本的な検査を受けることをそう呼ぶのだが、これには大変な勇気がいるのではないかと、私は常々思っている。カップルのおよそ1割が悩み、現代病とも言える不妊症。他人事では済まされないとは言え、生涯の誓いをする前にこそ、確認しておきたいという姿勢には頭が下がる。
「できちゃった婚」が増えている背景にも、あるいは婚前交渉を実践的な不妊検査と捉える若い世代のしたたかな思惑があるのだろうか?
ガン検診同様、自覚症状のない不妊症には「不妊検診」なるものがあっても良いであろう。ならばいっそうのこと検診をセットした挙式パッケージをブライダル産業に提案してみようか。さらに図に乗って「入れます不妊保険。体外受精なら1回30万を何度でも保障。めでたく出産した時には50万円のボーナス」というのもいいかも知れない。
「どちらかに大きな原因が見つかったら、(婚約を)どうされるのですか?」などと口がすべり余計な質問をしてしまうのだが、お互い顔を見合わせて「その時はその時」といった返事が笑顔で返ってくるので、少し安心したりするものだ。「夫婦の絆は、子宝のみにあらず」と教えられるのである。

第四節「♂(オトコ)も辛いよ」
「それでは今晩、性交渉してください」そんな言葉を他人より面と向かって言われたとしたら、あなたならどうするか?実は私の診察室ではそんな決めセリフが当たり前のように繰り返されているのだ。プライバシーに踏み込んだ究極の“おせっかい“とも思えるこの問題発言は、私のみに許された権限などとは思っちゃいないが、五感を駆使して排卵を予測し、寸分違わぬ間合いで夜の生活を指南する、それが不妊クリニックのお仕事なのである。
「親にだって上司にだってそんな事は言われたことがない」「そもそもマインドに反するのだ」などと訴えようとも、「排卵」は待ってはくれない。残業繰り上げ、つき合いもほどほどに帰宅する。今宵の「大一番」に家内も必死なのだから。夜ならまだマシだ。人工授精のある朝の空しさは想像に容易い。出勤前、振り絞って採取した精子は、無機質なプラ容器に拉致されてしまうのだから。おまけに「今日の精子は、元気がありませんな〜」などと、とどめを刺されてオトコの自尊心は哀れにも崩れさる。こちらとて、同性としての情けが無いわけでは決してない。自らを棚に上げての非情な「業務命令」には仕事とは言え、なんとも割り切れない思いをいだいているのだ。
生命誕生の秘話は、実はこんなひたむきな現実の連続である。不妊治療は、奥方だけのものではない。オトコにだって健気な努力があることを知っていて欲しいのである。

第五節「薬害あって一利なし」
「この薬は何のために飲むのですか?」「副作用が心配です」
当院のHPに設けられた「Q&A」には、こうした質問が多く寄せられる。不妊治療は、「出口の見えないトンネル」に喩えられるが、友人に相談することもできない彼らには情報ツールとしてのネットは欠かせない。外来診察で私を前にしては多少聞きにくい内容も、匿名であればこそ臆することなく質問ができるだろうと始めたサービスである。ところが意外にも質問の大半は、他院で治療を受けている患者さんからのものだ。そのうえ質問の主が全国におよぶとあっては、これぞネット時代の賜物と感心してばかりもいられない。その分、私の睡眠時間は確実に削られているのであるから。
驚いたことに、こうしたクスリに関する質問に共通するのは、それが極めて初歩的で当然理解していて欲しい内容であると言うこと。 「生産者表示」や「遺伝子組み換え」、なるほど食に関する我々現代人の関心は随分と高くなったが、一方で薬剤に対する理解はさほど進んでいないことを感じる。いつのまにか「クスリ」=「副作用」というデフォルメされたイメージだけが一人歩きしているのではないのか。勿論、投与する側が説明責任を十分にはたしているかが問われようが、「作用」に関する正しい理解なくして、ただ黙って持ち帰えるばかりでは無関心を通り越して無防備と言えよう。
「先生にお任せしていますから」それは我々にとっては、嬉しい言葉であるが、これだけ毎日のように医療過誤が報じられるご時世では、安易に口にするものではない。風邪をひいたからと、抗生剤を飲むことに慣れてしまった日本人。
不妊だからと医者から処方される排卵誘発剤に、まずは疑問を抱いてみよう。「フニンの心得」は、そこから始まる。

第六節「フニンは他人事(ひとごと)にあらず」
3歳児を抱えているあなた、ご傾聴あれ。不妊治療を看板とする当院には不思議なことに親子連れで賑わう時間帯がある。しかもよく観察すればみな年端も同じ3歳児だ。実はこのちょっとした偶然には訳がある。もったいぶってもアゴラの読者ならもうお察しであろうが、こうした第二子に恵まれない「二人目不妊」に悩む患者さんはことのほか多いのだ。一人目を授かれば二人目を期待するのは当然のこと。しかしどうした事かぴたりと気配がない。そのうちと思いつつ3年が経過し、幼子を連れての通院となるのだ。
家族計画のつまずきに少々当惑気味の彼らだが、治療方針に話しが及ぶと一転してこれがシビアな交渉となる。「〜月までに妊娠したい」「男(女)の子が欲しい」とその条件に容赦はない。「まずは検査から」とかわしたものの、「異常なし」の結果に解決の糸口も閉ざされる始末。楽観視していた彼らの表情に、焦りの色が出るのにはそう時間を要しない。「一人いるからあきらめよう」いや、「一人いるのにあきらめられない」。子連れ通院する彼らにこうした葛藤があることは案外知られていないことだろう。
「(子は)授かりもの」と体よく口にしていては専門医の名折れと言われようが、実はこの袋小路の道先案内は経験をつんだ我々でも道を踏み誤るほど時に厄介なのである。「二人目不妊」は私にとっても他人事ではないのだ。

第七節「シゼンなフシゼン」
「できるだけ『自然』な感じでお願いします」。これはカットサロンでのオーダーではない。当院を受診した不妊患者さんの多くが口にする言葉だ。これほどの文明社会に生まれついてもなお様々な局面で我々は「自然」を意識する。「自然に立ち返る」「自然に委ねる」、なるほど「自然」という言葉の持つ包容力は絶大だ。「自然治癒力」なる言葉にも、何やら科学を越えた期待感がそこにはある。生命の誕生に関わる医療ならばなおさらのことと言えよう。
これはもはや「自然」に対する私の嫉妬心かも知れないのだが、外来で患者さんより「自然に」と念を押されると苦笑いしてしまうのである。
では不妊治療で求められる「自然な妊娠」とはいかなる方法を指すのか?おおよそ授からないことが「不自然」だとすれば、「自然」であることに執着するのはおかしな話しだ。ガン治療には「自然に」という第一選択はないことを考えると、実に奇異なる発想と言えよう。しかし現実に先進医療を尽くしてもなお妊娠し得なかった婦人が自然に授かったという類の話しは珍しくないのだ。
「自然」と「不自然」というアイテムをいかに使い分けるかが、生殖医療に携わる者の命題と言えよう。
「できるだけ自然に『不自然』な治療を」とは苦心の末の私なりの極意なのである。

第八節「オトコならレディースクリニックへ行こう」
既婚男子にとって、いやはや居心地の悪い場所を二つあげるとすれば、百貨店の婦人服売り場と産婦人科医院の待合室だと考える。両手に買い物袋、直立不動で試着する家内を待つ姿はなんとも間が抜けている。では後者はどうだろう。男手の育児参加へのいざないは、いつしか義務となり、ご夫婦で母親学級に来られる割合も増えてきている。不妊領域についても環境ホルモンやらED(勃起不全)など文明社会から派生した諸問題により「男性不妊」の認知度も高まり、単身で不妊クリニックを受診される男性も珍しくなくなった。とは言え、その聖域には来る者をなお寄せつけない「結界」が張られていて、踏み入るにはちょっとした決心が必要となろう。しかしながら尻込みしているあなたに声を大にして唱えたい、「汝、勇気をだして不妊クリニックの門を叩けよ」と。
原因がどちらにあるにせよ、不妊治療は奥方だけのものではない。純然たるご夫婦の問題が男性不在で進んで良いはずがなかろう。いかにしてご主人を呼び込むかは治療の成否のみならず、その後の夫婦関係にも影響を落としかねないことだけに、そこにはクリニック側の工面も見え隠れするものだ。
当院の待合室も、ありがちな設えを排除しユニセックスを意識した「今どき」仕様だ。スタッフは女性のみであるが、ご安心を。紅一点の男性院長がご主人の来院をお待ち申し上げております。

第九節「ジュセイもいろいろ」
それでは問題です。次の言葉を漢字に変換しなさい。「じんこうじゅせい・たいがいじゅせい・けんびじゅせい」。一見書けそうでいて、手が止まるこの言葉。実はこれはれっきとした当院の職員採用試験なのである。答えは「人工授精・体外受精・顕微授精」となるのだが、さて正解の方はおられるだろうか?それでは、「じゅせい」に違いがあることなど初耳と言った方にご説明。
「受精」とは「精(子)を受けること」で、自然な妊娠ではこれを用いる。一方の「授精」とは「精子を授(さず)けること」、つまり人の手が加わる妊娠にはこちらを使うのである。聞けばなるほど納得であるが、ちょっと待て、「体外受精のどこが自然なのか?」という疑問を感じる諸氏のために加筆すると、体外に取り出した卵子と精子とが試験管内で「自然」に受精するのが体外受精であり、顕微操作により卵子に精子を注入して「人工的」に授精させるのが顕微授精であることから、対比的に使い分けられているのである。「へえ〜」という声が聞こえてきそうだが、医療関係者も案外知らないことなので恥じることはありません。ただし不採用とします、あしからず。ほとんど役に立たないムダ知識と言えようが、こんなことを通じて不妊治療の理解が得られればという院長の思惑がそこにある。もっとも出題された側にとっては受難ならぬ「授難」であるに違いなかろう。
ちなみに「授精」させても「受精」しても生まれる子には何ら違いはない。無論、断っておくが「授けた」のも我々ではない。今更ながら子宝とは人の手の及ばない「授かりもの」であることを強調しておきたい。

最終節「フニンの心得」
不妊治療を経て妊娠した患者さんにアンケートを行い、その秘訣を聞いてみた。不妊に効くサプリや食事に気を配る者、子授け温泉や神社に足繁く通う者、反対に生活から切り離して意識しない者など、「妊娠白書」にはそんな彼らの工夫が伺えて興味深い。スタイルは異なるものの、信念を貫いた人の言葉には重みがあるものだ。読むにつけ、さながら合格体験談に励まされた自分の予備校時代を思い出す。しかるに不妊治療には受験のような滑り止めも推薦入学もない。難関突破は若い夫婦に最初に科される通過儀礼にしてはシビアと言えよう。不妊治療の辛さは立場を同じくする者でしか共感し得ない。周囲からの励ましの言葉でさえ時には凶器となって彼らを苦しめることがあるのだ。
「白書」の中に答えを探し求めると、一つのキーワードにたどり着いた。それは「支え」だ。治療に失敗した時、行き詰まった時、医療スタッフや治療仲間の存在は大きい。しかし最大のサポーターは他ならぬ伴侶の存在であると彼らは綴る。そこから得られたのは治療を通じてはぐくまれる夫婦の「絆」の持つ意味の大きさだ。すなわちこの「絆」は子宝に恵まれれば、新しい命を受け入れる「器」となり、不幸にして授からなくともそれは夫婦の「礎」となるのだと。最後に、、当コラムは私が患者さんから教えられた「フニンの心得」を伝授してお別れとしたい。「不妊治療は夫婦の絆づくりと心得よ」。(終)


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